人間へ戻る日

ついに復職日が決まってしまいました。

産業医面談、それに一体何の意味があったのだろう。私は、最低限の嘘をつきました。

働く必要があったからです。いや、そんなもの死ぬなら全く必要ないのですが。

でも、よくわからないけれどもお金が必要なので……必要、必要なのか?復職がつらいなら死ねばいいのではないか?死者に葬式代を請求してくることもないだろうから、死は実質無料です。

この世は実質無料で溢れていますから。

 

私の嘘によって判断されたものに一体何の意味があるのか!

この休職期間中、外出を強いられる生活に自分がどれほど向いていないか思い知りました。

引きこもりながら生活を維持する術を全力で身に着けなければならないのかもしれません。

けれどもそう簡単にはいかないのでおとなしく社会へ出るのです。

様々な迷惑をかけて、好き勝手に生きて、生きられなくなった時点で死のうかなと定期的に考えるのですが、ポジティヴ自我を獲得する可能性を諦めきれずにいます。

いつか、未来の私が生きる意志を持った時、あまりにもひどい人生を渡すのはやはりためらわれます。現在の私だけの気持ちで、他の私の人生を損なわせてもよいのだろうか。

今、意識を握って体を動かしているのは私なのだから、この体も人生も私のものであり好きに使ってもいいような気はしますけれど、同時に他の私へ申し訳なさを覚えるのです。

 

ふらふらと気の向くまま、どこかへ行ってしまいたいという思いが日に日に強くなり、それを誰かに聞いてほしくなるのだけど、それって話した人間に重荷を負わせる行為なのでは?と思ってしまうのでこうしてブログへ吐き出して、薄めていく。

昔は日本の北までぼんやりと電車に乗り続けても何とかなるくらいの貯金がありましたが今ではそれすら持ち合わせてなく非常につらい。どこへも行けない。

まあ、死ぬ前提なら多少のお金はどうとでもなるでしょう。文字通りの、片道切符となってしまいますが。

けれどもふらふらと彷徨っているうちに愚かにも生きたいと思ってしまったら取り返しがつきません。

臆病者なのです。完全に自分を見捨てることもできず、人間も辞められない。

ほんの少し残された猶予が惜しくて、今日もいちにち布団と仲良くして非生産的に過ごしました。