日々を過ごすと無が残る

毎日をただやり過ごしているうちに漠然と時が経っていた。こわい。

それに気づいたとき、自分というものが作り話のように感じられた。いつかどこかで読んだ小説と、私の中にある自分という情報は同じか、もしくは小説よりも不鮮明な記録になった。

人物設定とプロット程度の自分に対し、小説はきちんと描写されている。

今日は満員電車のなかで人生に怯えていた。

このままどうなっていくのだろう。

幸せは保証されていないのに、人間たちは当たり前のような顔で生きている。

実は他の人間たちも、どうして周りは当たり前のような顔をして生きているのだろうと、心の中で疑問に思っているのかもしれないが。

「生きている意味がわからない」と言うと「そんなの誰にだってわからないよ」とか返されるのがオチなんですけど、もう意味っていうか訳が分からない。

訳がわからなすぎる。

 

日々成長していく人間たちの横で、私はただ死んでいないだけでしかないことがつらい。

 

精神科医は趣味を楽しめと言った。趣味。

「趣味は?」と訊かれて答えるそれはただのプロフィールでしかない。何も感じられない。私の趣味は本当にこれなのか?

もっと感情が必要だ。感情!感情はある。いや、感情はあるけれども感情を動かす気力が不足しているのかもしれない。

6月5日に精神科通院を再開した。

今までの経緯を書く紙を渡されるんだけど、年月を書いていくと空白に気づく。今まで何をしていたのだろう?こんなにも時間は消えてしまったのか?という気持ち(今日のブログそればっかだな)。

お薬手帳を見て書いたのでその通院期間はだいたい合っていると思うんですけどもしかしたら貼り忘れとかあるかも……」と伝えながら、貼り忘れがあることを願っている。少なくとも通院して治していたという証拠がほしい。何もしていなかったわけじゃないと思いたい。まあ、何かしていたわけでもないんですけど。

今までただ耐え忍んで鬱病患者をやってきたというのか……。

抗うつ剤の希望を訊かれて、今までではジェイゾロフトが一番マシ(というか他がだめすぎる)という話をしたらセルトラリンが出た。

抗うつ剤眠剤ではジェネリックを避けてきたけど今回は受け入れた。安いので。

もうちょっと気分が上向きになるようなものが希望だったけど「ハイになりやすい薬は避けておきましょう」と言われてニャオ。「人間は軽躁状態では生きていけないんだよ」とも言っていた。

眠剤ブロチゾラム。今のところ特に問題なし。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村