何もかも隠すくせにわかってほしいと泣く

心を開いていないと他の人間と親しくなれないらしく、親しくなれないことを寂しいと思う。私はずっとこんな感じで生きていくのか。絶望した。

私が無害な人間ですよとアピールをして当たり障りのない人間関係を維持している間に、他のひとたちは心を許せるような、楽しそうな関係を築いていく。

人間と必要以上に話すとつらくなるので、無味乾燥とした関係でいいのかもしれないと思う日もあるし、ひどく疎外感を覚える日もある。

日によって自分というものが変わっていくので、そのような不安定さを抱えることになる。

安定したい。

 

感情を遠ざけていたら、どこにやったのかわからなくなってしまいました。

感情を遠ざけるというのは一種の生存戦略であり、感情があると死にます。

昔、私は毎晩怒鳴り声が聞こえて、それをイヤフォンから大音量の音楽を流すことで聞こえなかったことにしようとして、しかしどんなに大音量で音楽を聴いても怒鳴り声というものは聞こえてしまうもので、心臓が苦しくなったものですが、感情を放棄しました。私(2)に助けを求めたりもした気がする。

それよりも前、母があまり家に帰ってこなくなって学校でも人間に失敗し精神もだめになっていた頃はずっと眠り続けることにより少しでも夢の中で幸せになろうとしていました。

逃避人生。

実家でつらさを育んでいたのはわりと最近のことなのに、どのくらいそうやって過ごしていたか思い出せなくなっていることに気がつきました。そんな環境で長い間暮らしてたなんて正気か?と他人事のように思う。

最近、といってももう東京へ逃げてから何度か年を越したわけだけれども、東京へ来てからの記憶も曖昧です。

楽しいはずの出来事を楽しめなくてつらかったのは覚えています(この前ブログを読みながら楽しい出来事たくさんあったのにちゃんと楽しめなかった……と泣いた。引きずりまくっている)。

つらいことだけを感じないようにしようとか、私の代わりに私(2)につらさを引き受けてほしいとかそんな器用な真似は無理なのです。

つらさも楽しさもフラットになってしまうし、あとからツケを払わなければならなくなるのです。

記憶も精神も人格もぐちゃぐちゃになってしまいました。ニャンです。

もうこの人生はだめですという気持ちになっても許してくれ、本当にだめなんだ。

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