がんばれなくなってきたので

つらい。

 

一か月もブログを更新していなかったようですが、最初の方は引っ越しでネコ・ネットワークに接続できなかったため。

後半は私の問題である。

日中意識を保つことが難しくなってきて、それにより労働へ行くのがこわくなった。薬を調整しても早く眠っても意識を保てず、夜には悪夢を見る。

上司は理解を示してくれて「ちょっと前は表情も明るくて調子よかったのにね。きっと波があるんだろうね」と、就業中に寝るのはよくないのでがんばって起きていてほしいことを伝えつつも、気遣ってくれる。

それなのに、ふとした瞬間に寝てしまい、申し訳なくて、惨めな気持ちになる。

不眠のために増えていた眠剤が、精神科へ通う毎に削られていった。

朝に飲むサインバルタも、消えた。

 

起きているのに、俯いて資料を読んでいたら「寝るな!」と急に肩を叩かれて「起きてますよ」と答えながら不愉快な気持ちになって、どうしようもなくだめになって早退した日もあった。

何だか、もうあの場に私がいる価値はないような気がする。

減ってしまった貯金を増やしたいし、職場には行きづらくなってきたし、転職して気分を変えようと考えながらも、何もできずにただ逃避する日々を送っていたら、11月になっていました。

有給も、もう残っているか不明である。

 

がんばらなければだめというプレッシャーを感じる。がんばらなければだめなのだろうか。

 がんばりたくないなあ。

今日は先生から「元気?」と電話がかかってきて「はい」と答えてしまい、後悔した。本来ならば、何らかの相談をすべきなのでは、と思った。

電話を苦痛に感じながら「はい」とか「ええ」とか「そうですね」とか相槌を打っていたら、また「元気?」と訊かれたので「まあまあです」と曖昧に答えた。だめですとは言えない。説明すると言い訳になってしまいそうで。

このブログも言い訳辞典。

つい最近、久々に自傷をして、リストはカットしない派なんですけど、リストほどカットしやすい場所はないだろうなあ!と思った。手首ほど充実感を得られる場所はないのではないか。リストはカットしない派なので比較はできないけれど。

首とか、切りたくなる。ひきこもりのときは切ったこともあったけれど、今は目立つと困るので切れない。

自傷は、救いである。

一瞬だけでしかないけれど、確実に、その一瞬だけは救ってくれる。したことのない人間からしてみれば、わけのわからない行為だろう。

私もシラフのときはよくわからない。

ただ一瞬のために、傷跡のかゆみに悩まされたりする。ニャンである。

社会とか人間を気遣うとか自分を大切にするとか、面倒になってきたので一発で治る薬とか出してほしい。

もしくは何かすごい能力に目覚めて週に3日ほど敵をなぎ倒すだけで生活できるようになりたい気持ちでいっぱいです。体を動かすとすっきりしそうだし。

 

一日を無にはしたくなくて、つらくて動けない間もアニメを流してぼんやりと眺め、少なくともアニメを観たという事実を作り、別の日には音楽を流しながら仮想環境をいじり、しかし進捗もなく、予定外の睡眠に落ち込む毎日。そろそろどうにかしないと……。

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兄(概念)の話

私には兄がいた。概念の兄である。実体は持たないが、姿はある。

眠剤を飲んでかなり体の力が抜けてきたが、せっかく昔のことを思い出したので書こうと思う。

母曰く、私が生まれる前に一人だったか二人だったか生まれる前に亡くなっていて、私のもとに架空の兄が現れたのは、そのエピソードと孤独からだと考えている。

母は「二人の分も幸せになるのよ」と言った。私には無理だよ。

小学生の頃から、もっと言えばそれ以降から私はひとりだった。友達はいたし、頻繁に遊びに行っていたが夕方になって友人の家族が帰宅して「じゃあ私は帰るね。おじゃましました」と友人の家から薄暗い道を歩き、真っ暗な自分の家へと帰るのはとても寂しかった。

温かな家族というものをたいへん羨ましく思っていた。

たまに、私は夜道を兄と姉と手を繋いで帰った。誰にも、私にも見えない兄と姉。

兄は、たまに夢に出てきた。大抵は夢の中で私が怖い思いをしていたり困っていたら現れて助けてくれるのだ。私は兄のことが大好きだった。

写真などを見たことは一度もなかったが(生まれていないのだから当たり前である)、夢の中の彼は何の疑いもなく兄だった。

いつのことだったか忘れたが、ある日夢の中で私は兄を拒絶した。それから何度願っても兄の姿を見ていない。もう一度、いやもう一度といわず会いたいものである。

私はつらいことがあると自分で自分自身を守る人格に頼り、それを兄だと思っていた。思うことにしていたという方が正しいのかもしれない。

姉の姿は見たことがなかった。夢にも出てこない。

けれど、高校生の頃「私はもう無理だから体を明け渡そう。人格を交換しよう」と姉に申し出た。私の代わりにこの体を生かしてほしい、と感じていた。

そうやって、別の人格につらい出来事を押し付けていたら「解離性同一性障害になるのでは?」と思う方もいるだろう。しかし私はその診断はおりていないし、別の人格が私を乗っ取っていてその間の記憶がないということもない。

ただ、エピソードとしては存在しているはずの出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていて、それが解離性同一性障害によるものだったのか防衛反応だったのか医者ではない私には不明である。

医者にも話していない。話すタイミングも見当たらない。

私の知らない間に人格が入れ替わっていてその記憶がないということは、おそらくないと思われる。離人症は自覚しているけれど、それはまた別の話だろう。

 

 しかし私は、あの時もう無理だから代わりに生きてほしいと願われた方の人格ではないかとしばしば疑っている。

「私」と今の『私』は異なっている。

何度「私」が戻ってきてくれたらいいだろうと考えたことか。

けれど、記憶はある。部分的に抜け落ちてはいるけれど、これは同一人物の記憶である。

離人症気味で、感情や自我の薄さを感じてはいるけれど同一人物なのだ。

感情の希薄さやその他の不具合は鬱病によるものだろう。

ただ、私が私を丸ごと救うには今のクリニックでは荷が重いような気がしている。医者は取り敢えず今の生活をうまくこなしていくことを目標にしているようだが、私は根本的に救われたいのだ。

無理だろうか。普通の、ごく一般的と思われる、人間や社会に疎外感を覚えることのない人間になりたい。

とかくにこの世は住みにくい。

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社会生活ができない

まず、眠ることはできる。眠剤の一部であるセロクエルコントミンへと変更したせいか、中途覚醒が現れ始めたが、その後ふたたび眠れなくなるようなことは今のところ起こっていない。

朝も、目覚めることができる。

しかし、会社へついて仕事をしていると意識が朦朧としてくる。夢うつつで労働をし、時には立っているときでさえ、体から力が抜ける。

どんなにがんばっても書類に正しく文字を書くことができず、自身では起きていると思っていてもそれは嘘で、同僚に「起きろ」と肩をたたかれる。

休憩時間を睡眠へ全振りすることにより何とか意識を保っている。

日中の強い眠気を訴えたためにコントミンへと変更されたわけだが、中途覚醒が続くようなら失敗かな。

というか早く寝ても休憩時間を睡眠に全振りしないといけないって、それはもう破綻しているのではないかと疑ってみたりする。

朝にサインバルタを飲んでいるためという可能性もあるので、そちらも確かめる必要があるなと思って抜いてみたら元気がなくなった。もともとないのに。

生きていけないニャオー。

 

前と違って空腹感は時折復活するようになったが、食べ物を用意する気力もなく、まあいいかと流してしまう。

現在は飲むヨーグルトと、人間のくれるエサ、誘われて食べる食事によって生きている。

ふらふらと曖昧に生きていたら人生がどんどん変化して、もう10月になっちゃって、ニャオである。え!?10月!?

そしてなんとお引越しをする日も近付いてまいりましたので、その際には欲しいものリストを公開します。

しかし、欲しいものリスト用のアカウントに入れなくなって困っている。最悪の場合つくりなおしかな。

 

繫忙期じゃないだろうし不動産さんに優しくしてもらうぜ!と思っていたのですが、もう繫忙期のようです。人間の皆さんはご存知だったかもしれませんが。

私はネコなので詳しくなく、余裕ぶっていたら目をつけていた物件に、すでに申込が入ったということで虚無になったりした。

ひっこーし、ひっこーし、さっさとひっこーし!とはしない。何しろ善良なネコなので。

しかし申込んだ本人に出会ったら「きっともっといい物件ありますよ?」と別の物件を勧めたくなるだろうな。

そしてTwitterを見ていたら同じように引っ越しツイートしてる人や、荷造りしている人がいて、繁忙期ほんとだったのか……となった。

ニャオー。である。

 

実はこのブログは新しいPCから作成しておりまして、しかもなんと輸入したのです。長旅ご苦労様です。

貯金残高がニート時代かそれよりもひどいものになりそうなのでお給料のよい会社へ転職したい。でもそもそも働きたくない。

転職エージェントからくる面接オファーに目を通す元気もなく、リクナビからのメールが溜まっていく。

私のだめさを理解した上で採用してくれ~!お仕事はがんばるから!という気持ちでいっぱいです。

というわけでよさげなお話があればお願いいたします。自分でがんばれなくなってきたので他力本願でがんばっていきたいと思います。

生産性を身につけるため「そろそろブログ更新しろ!」というリプにも応えていく所存です。

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あなたは育った環境が特殊だから、と医者は言った

特殊な成育環境。それが問題らしい。

「はい、ではこのお薬を飲んで特殊な成育環境を取り除いていきましょうね。大体1~2週間ほどで排出されますからね~。ちょっと口の中に苦味が残るけど、大丈夫ですか?」と、どうにかできるものではない。

いや、それにその方法は記憶に空白がたくさんできてしまうのでは?

ではこれならどうか。

「はい、では今までのつらい出来事をぜーんぶ幸せな出来事へ書き換えていきますからね。全身麻酔をするので、1週間入院が必要になります。」

果たして、記憶を書き換えられた私はこの「私」と何が異なっていくのだろう。とても興味があるけれど、そういった治療を受けることは、少なくとも私の通っている精神科では行っていない。2017年9月時点では、できない。

ただ精神科に通って言われるがままに薬を飲んでぼんやりしているだけではどうしようもないのだなあと思った。

それでも私はそのどうしようもなさを抱えながら増量された薬を飲んでいくのだ。どうしようもない生き物なので。

 

もっと元気がほしいとの要望に応え、朝にサインバルタを飲むことになった。ちなみに、朝の薬としては前回からリーゼも出ている。両方飲むのか?と訊くのを忘れたけれど、一応両方飲んでも薬は尽きない程度に出ているので両方飲んでもいいのだろう。

寝つきは悪い癖に、日中眠くて眠くて仕方がないので眠剤が合ってないのだろうと申し出たら、セロクエルが追加となった。あくまでも、日中の眠気は十分な睡眠がとれていないからというわけだ。

私は眠るためにロゼレムとサイレースセロクエルを飲む。

生活を送るためににジェイゾロフトメイラックスサインバルタと(そしてリーゼ)を飲む。

死んでしまわないようにシクレストによって意識をシャットダウンさせる。

果たして、そこまでして生きていく価値はあるのだろうか。

 

私は最近、5日間ごはんを一回も食べなかった。不思議なことに、空腹を感じなくて、空腹を感じないなら食べる必要もないと思い、ずっと食べずにいた。

5日目、会社のひとに夕食に誘われてついて行き、そこで久々に食事を摂った。

空腹を感じないということは、ごはんを食べる必要がないということで、何をいくらで食べるかといった面倒なことを考えなくていいということで、とても素晴らしいと思った。

しかし、因果関係は不明だが、急に喉が痛くなり、口の上方前面が口内炎のようになった。なるほど、栄養が不足してきたのだなと思った。

人間によると、食事とはとても大切なもので空腹を感じないからといって5日も抜いていいものではないらしい。別にそんなことくらい知っていたけれど。

あまりにも私がお昼休みに食事も摂らず眠っているせいで「大丈夫?今日もお昼ご飯食べなかったでしょう」と心配された。「夜はちゃんと食べてるの?」という質問に、私は「はい、もちろん」と嘘をついた。食事が大切なものであるとみんな思っていることを知っていたから。

けれど、生きたくないにゃんね~と言いながら食事を摂るのは何だか滑稽に思えたのだ。

どんどん肉が削げ落ちてしまえばいい。

空腹を感じないなら、無駄に食料を消費することもない。便利だ。嘘だ。嘘か?

 

これじゃあ、健康になんてなれないな、と思った。

治る気のない人間はいつまで経っても治らない、というヤツである。

私の育った環境が特殊で、それが病を呼んだことも、人間として破綻していることもすべて知っていたけれど、それでも、私が何もしなくても勝手に救われたかったなあ。

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進捗だめです

精神もだめです。

昨日は「働きたくない!」「お前の意思なんか関係ないんだよ!」と葛藤し、何とか会社へ行ったけれど、もうだめです。だめなんです。

会社を休んだ。

死!と思いつつ布団に包まっていたらいつの間にか眠っていて、虚無感に襲われたので

せめても……とラズパイをいじってみたけれど特に進捗なし。

私には何もない……という気持ちになった。

空っぽだ。

朝、私が眠っている間にミサイルが通過していて、世間が騒いでいて、眠っている間に死ぬこともあるのかなあとぼんやり思った。まあ、ミサイル関係なしに眠っている間に死ぬこともあるのだけども。

最近、理想の死に方が具体的になってきて、旅に出て雪景色を眺めながらゆっくりと意識を落としたい。

でも眠っている間に死ぬのも悪くないのかもしれない。痛くて苦しいのは嫌だけれど。

 

ブログはいい。文章を書いて更新して、何かを進めた気持ちになれる。本当は人生においてやるべきことは何ひとつ終わっていないのに。

もうやだよ~生活したくないよ~。

勧められて転職サイトに登録してみたらメールがどんどんきてつらくなった。社会と関わりたくないのに社会が流れ込んでくる。

でも社会と関わらずに生きる術を持っていない私はなんとか自分を騙して社会と関わっていかなければいけないのでした(完)

 

さて、楽しい話をしよう。

土曜日、ネコ・バーに行った。ちなみに、ネコはいない。

そして、バーでお酒を飲むのは初めてだった。

全くと言っていいほどお酒の知識がないので、黒の組織にいたな……とか映画や小説のタイトルだなとか思いながらメニューを眺めていた。

結局カカオフィズを頼んだ。もちろん飲んだことはない。

どんなに飲みやすいお酒でも、後味にアルコールの味がして、それが苦手だったりするのだけどそういうこともなくすっきりしていた。一体どういう仕組みだろう。

私が普段飲むような安いお酒とは何もかも違うのかもしれない……。

いつも、一体私が飲みたいのはどれなんだろうと悩んでしまうので飲めるお酒を見つけられて非常によかった。 

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我らは生まれずに死んでいく

精神は悪い方向へと進んでいる。私はそれを知っている。終わりである。終末。

透明な存在のまま曖昧に呼吸を続けて、その先に何があるのか。

人間に価値をつけていく社会がつらい。こっちの社会では価値があっても、あっちの社会では価値がない。両方の社会で価値のある者もいる。

人間に価値をつけていく社会の価値は一体いくらだろう。

ほとんどの社会は、私のことを知らない。認識されないものは存在しているといえるだろうか?

このPCには様々な部品が使われており、しかしそれは普段認識されていない。透明。

全員がPCに使用されている部品をすべて答えられるわけではない。だが存在はしている。存在しているからこそ動いている。

それでも私は透明のままでいることがつらい。存在しているだけではだめだ。認識してほしい。

自分で自分のことがわからないから、外部へ認識を託している。

こうして、文章を書いて少しばかりの認識を得る。

 

私は、私と同じ人間が欲しかった。理解し、様々な概念を共有できる人間。

それを手掛かりに自分を認識したかった。

双子の姉か妹がいたら、どんな人間になるのだろう。どの程度差異が出るのだろう。

同じ境遇の中で、つらさや思考を共有できるのだろうか。と何度も考えたことがある。

物理的にも、精神的にも独りぼっちにならずに済んだだろうか。

 

もしかしたらこの人は私と同じ存在ではないだろうか?と感じる人間を見つけて嬉しくなっても、その人間と私には決定的な相違点がある。

そうしてその人は透明ではないように見えて、私は結局、透明のまま。

承認されないことはつらい。

 

私は、私のつらさが理解されないことを知った。他の人間にはどうして私がそんなにもつらくてうまく振る舞えないのかわからないらしい。

 

その他大勢の人間たちのことを理解できないと思いながら、私のことを理解してほしいと叫ぶ。

そんなこと、無理なんだよ。その他大勢の人間はお前を理解しないよ。

 

私は、一般的な人間というものを模倣しようとしていた。今もその癖は抜けない。

それこそが透明になっていく行為なのでは?と今になって思う。

しきさんからは偏見を感じないから安心できますね。と言われたことがあったが、それは私が透明だからだ。

私は害のない人間ですよ。と振る舞っているからに過ぎない。

あなたはこの問題を他人事のように思っているでしょう。と言われたこともある。

本当に、それは私の問題ではなかった。問題をみんなで共有しましょう。あなたはどうして共有しないの?と言われているのだ。

私は人間のフリをするため、その他大勢の人間たちと同じように共有しようとしているつもりだったが、偽物でしかなかった。

それがショックで、しかし同時にどうしてこの人は私のつらさを共有してくれないのに、同じく他人の問題を共有しない私を責めるのかと苛立ったのを覚えている。

 

一般的な人間というものに正解はないから、いくら模倣しても解は得られないまま精神がすり減っていく。自分を見失い、変化するのだ。

主体性のない、あやふやで曖昧な存在へと。

 

新しい精神科を見つけて、薬が増量されて、会社をたまに休んで、人間に心配されたり注意をうけたりしながら日々を曖昧に過ごして、面接に落ちて、これからどうすればいいのかわからなくなって、つらくなって、それでも生活は終わらずにぐるぐるぐるぐる回り続ける。え?まだ続くんですか?という気持ち。

選ばれないことは死ぬこと。

何者にもなれないつらさを抱えながら承認と愛情に飢え、死なないための薬をもらい続けながら生きている。そんな惨めな自身に価値を見いだせない。

 

私は意志が弱いから、眠るように死んでいく薬があったらきっと飲むだろう。

その薬が普通にドラッグストアで売られるようになった世界で、どれだけの人間が眠りから覚めなくなるのか興味がある。

それを見るためなら生きていたいと思う。

そして人類が減った世界を眺めたあと、私も薬を飲み、眠りにつくだろう。

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秋葉原はいつも雨

疲労が蓄積している。今日は、座っているのにめまいというか、モニタ方向へ世界がまわっているような感覚がした。今もぐらぐらしている。

労働は悪である。満員電車もまた悪である。

人権団体はどうして満員電車について抗議しないのか。「ヒトに戻れなくなる!」というくらいぎゅうぎゅうに押し込められながら、そう考えていた。

最近、秋葉原に来るといつも雨が降っている。最近と言ってもここ数週間の間なので、単に最近天気が崩れがちだという話でもある。

天は雨を恵んでいるつもりかもしれないが、私は低気圧だと何だか調子が悪くなるのでやめてほしい。しかし雨の音を聴きながらぼんやりしたり眠るのは好きなので、まず私に二兆円を恵み、いつ調子が悪くなっても眠れるような環境を与えてから降ってほしい。

疲労を抱えながら秋葉原へ行ったのはラズパイ氏のためであるが、今日はもう作業するには結構きつい気がする。眠いし。

ラズパイ氏に繋ぐディスプレイどうしようかなあと考えていたけれど、結局ラズパイ氏には以前購入を検討していたタッチパネルを与えることにした。

お店をいくつか周り、悩みに悩み、もう脳も体も疲れ果てているし世界は回っているし早く解決したいという思いでレジに向かった。

どこだったか忘れたが、途中500円ほどで売られていたハンドスピナーを回してみたら私が所持しているハンドスピナーよりも遥かに回転が悪かったのでちょっとびっくりした。ディスプレイ品だからなのか粗悪なのか。

私のは見た目もきれいなのでよい。

 

本当は秋月を覗きたかったんだけれど、残業していたら閉まっていたのでかなしい。残業するつもりなんてなかったんです。

何となく、秋葉原のお店は閉まるのが早いイメージがある。文化なのか?

夕食にはカレーを食べ、脳が休まっていないのを感じながら電車に乗り、救われたくて目薬を買った。

しかし私は自分で目薬をさすことができない。

会社でかっこよく目薬をさすためには、練習をしなければならない。

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