覚書

ひと眠りしてからスーパーへ行くために外に出ると、涼しい風が吹いていた。

明瞭で、とてもいい夜だった。

明瞭。明瞭って、不思議だなと思いながら景色を眺めていた。

皆さんの脳と私の脳、そして目玉、全て同じように見えて全く別のものであるので、私はこの明瞭さを誰とも分かち合うことはできず、ひとによっては不明瞭な夜である可能性も孕んでいる。

私は私自身とでさえ、脳の状態が違えばこの明瞭さを理解し合えない。

とある事情から私には週に何回か脳を曖昧にする時間があるのだが、そのとき世界は全く別の様子を見せる。

目を閉じると紫色の空間にインクの染みのような模様が現れ、消え、生み出され、消滅し、自我と世界が溶けていく。暗闇になる。かと思えば真っ白になったりする。

呼吸をしているかさえわからない。遠くで何かが聞こえるような気がしていたのに、それも確かなものかわからない。

このまますべてを受け入れてどんどん奥深くいけば、そこは“死”かもしれないと感じている。

その先が気になるのに、私はいつも何故かそこで目を開けてしまう。先程見た、しかし曖昧になる前とは異なる世界が映る。

声を出して、現れたのはこの自我なのか!と驚いた。

その驚きは、今までにないものだった。

目を閉じている間、私は別の何かであったような気がするのだ。しかし、目を開けた私にはもうわからないものだった。

そうしてぼんやりとして、時間が経ってから私は長年表層に現れている私となる。

世界も、何ら変わったところを見せない。

常にあの異なる世界を見ている人間のことに思いを馳せて、しばらくするとその考えも霧散する。

 

 

最近、全くブログを書いていなくて、それどころか週に一回は何とか更新していた小説もここ数週間書いていない。

代わりに、ネコと和解イラストは毎日のように描いている。

文章も絵もムラなくインプットできたら助かるのだが……と思いながら過ごす。

何に助かるのかはよくわからない。

あなたには僕が見えるか

アンノウン・マザーグース

頭の中で曲が流れていて、何だっけと歌詞を検索窓に打ち込んだ。

 

今日は世界に嘘があふれる日。

世界ごと嘘になってしまえばとっても楽しいのでは?

壁に手をつくとするりと通り抜ける。だって嘘だから。

空に翳した手のひらが、そのまま空の色へと染まっていく。

嘘の日には、桜の下に生者が埋まっている。

 

Twitterに時折流れる人間たちのエイプリルフールネタを見ていたら、何でもないようなことまで冗談に思えた。

私は何の冗談も用意できないまま、それを眺めている。

 

三月中にもっとブログを書くつもりでいたのだけれど、頭の中で更新してしまって意味をなさなかった。

月始めは、何かを始めるのにうってつけの日だ。仕切り直し、仕切り直し。

仕切り直しすぎて、私の人生は細切れになってしまったけれども。

 

この数日、外に出る機会が多くて桜をたくさん見た。

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ひとの狭間

他の人間は一体何を考えて日々を過ごしているのだろう。そういうことばかり考えて生きている。

自我を通して見た世界はどれひとつ同じものはなくて、皆それぞれ別の世界を見ている。

私たちは同じ世界に生きていない。

誰とも共有できないことを私は寂しいと思うけれど、あなたはそれに安心しているだろうか。

さびしさを集めて、言葉を与えることができたなら私の自我を表すことができるだろうか。

 

イシャに「この2週間の間で“悲しい”と思った日がどれだけあったか。一日中悲しいと感じるか」と訊かれて、私は果たして“悲しい”のだろうか?と考える。

毎日、私はどんな気持ちでいるだろう。

何らかの刺激には反応を返す。刺激によっては、悲しさは途切れる。それでも自身の気持ちを振り返ってみたとき無味乾燥な印象を受けるが、この文章のようなウエットな気持ちも確かにあるのだ。

質問に答える私と、悲しさを担当する私はうまくつながっていないように思う。

その概念を伝えるとき、人間は不思議そうな顔をする。ひとは互いの世界を共有できずに、類似の仮想世界を創り上げて、自己が理解できるものへと変換していく。

けれど変換に失敗しているような気がしてならない。

それは類似ではありませんよ。あなたには重要ではないこととして処理されたようですが、ここの青が私には重要なのです。あなたの秋の空のような青ではなく、深い海の、ほんのりと光を通した青なのです。それではもう甚だしく解離してしまっているのです。

そういうふうに、どんどん食い違っていく。

私はそれを“悲しい”と感じるだろう。

目の前に人間がいると、私はオートモードになってしまって後から後から伝えられなかった、変換に失敗した感情があふれてきて、どうしようもなくなる。

けれど、きっと私の正確な気持ちを把握することは求めていないでしょう。

だから私は曖昧な答えを返す。曖昧で、基準に沿った答え。

ご飯が喉を通らないほど悲しいわけではないとか、そういう誰が決めたのかわからない悲しさのイメージとすり合わせて答えていく。

 

孤独なことを悲しいと感じる。

私はこの孤独を解消することは非常に難しくて、ほぼ不可能なのではないかと感じていて、益々つらい。

人間を辞めて神様になりたい。そういうことを祈っている。

 

 

 

 

屑箱

リゾットを食べて布団へ体を横たえる。そのままずぶずぶと沈んでいくような錯覚。

さっきまでは空腹であることに煩わしさを感じていたのに、今では満腹であることへ煩わしさを感じている。

死んでいるように生きていて今日が何日で自分は何者でこの世界は何であるかすべてのことを投げ出して、ただ空白だけが積みあがっていく。

新しく行った病院で、自身の年齢を間違えた。

今までの病歴、来歴をぼんやりとしか語ることができなかった。

結局のところ、私は周りに寄生して他人の幸福を侵食して生命を維持している死にぞこないである。

 それがとてつもなく嫌になって、けれど自身を処分することは許されていない。

ニャンであるなあ(時間を置いたら何を書こうとしていたのか忘れたのでこれで終わり)。

 

猫は吠えねえ

今日は月に吠えらんねえを買うためにアニメイトへ。

月吠、周りで読んでる人間をなかなか見かけないのでおすすめしたい。読んでくれ。アフタヌーン公式サイトで一話読めるよ。

 

昨日も病院へ行くために外出したし、今週の外出率がすごい。でも昨日はせっかくの(?)猫の日だったのに大して猫の日らしいことせずに通院だけというのは味気なかったかなと今更ながら思う。ネコ氏においしい缶詰でも買って帰ったらよかったかな。

なんというか奇跡的に落書きでネコ少女は描いていたのですが、落書きだし猫の日意識して描いたわけでもなく何だかなあという気持ちです。お納めください。

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何かのときに付属(購入か?覚えていない)してきたけど全然使っていないタブレットがあるというので借りていじっていたときの絵。

タブレットで線画から描くの難しくないですかと常々感じる。あと、なんかいかにもペイントソフトで描きましたみたいな絵になるのを避けられるようになりたい。ネコ神絵師におれはなるぞ。

 

今日はミラノ風ドリアを食べるぞ!という強い気持ちを胸にランチタイムにサイゼリヤへ行ったらランチセットがたいへんお得で、しかもハンバーグがとてもおいしそうで、いやでもミラノ風ドリア頼まないと絶対に後悔するだろうなと思ってランチセットもミラノ風ドリアも食べました。

昨日ご飯食べてなくて、しかも眠っていなくて非常に空腹で判断能力が低下していたのです。

さすがに量が多かった。まだこの時間になってもお腹空いてません。

それほどたくさん食べても1000円ほどなのでサイゼはすごい。個人的に、ミラノ風ドリアに青豆の温サラダをかけて食べるの好きです。

青豆の温サラダを頼むだけで青豆も半熟卵も加えることができるんですよ!

メニューにあるミラノ風ドリア+半熟卵トッピングよりもお得感ある気がするのは気のせいか。

青豆の温サラダ、普段こんなに青豆食べることないなあと思うとちょっとおもしろい。

あと、今日はさすがに満腹すぎて食べられませんでしたがサイゼに行ったら必ずプリンを食べたいですね。あのプリンはたいへんよいものです。

 

ところで、今週のお題「ねこ」なんですなあ。猫の日には遅れてしまったけどこっちならセーフですね。

最近のネコ氏情報でやけに人気だったのはこれです。

フィギュアスケートはリアルタイムでチェックしていたのですが羽生くんの演技が神様へ捧げる舞のようでたいへんよかった。あと宇野くんの演技とコメントのときのギャップがすごいなと。

フクショク・キャンセル

先週の私「来週はちゃんと会社へ行って復職しよう」

今週の私「無理です」

昨夜は眠りもせず、ずっと唸りながら労働のことを考えていたのですが、もう無理無理ニャン。

「死!死よ!」という気持ちに囚われていたのでサイレース1シートを飲んで強制シャットダウン。

一生に一度しかない死だ。そして、人間は高いところから落ちると死ぬ。

せっかくだからあいきゃんふらーいとでもしゃれこもうと考えていたのだけども、高層マンションにはオートロックがあるなあと気づき「ちょっと訊きたいんだけどさ、お前のマンションって何階まであるっけ?」なんて質問をしたあとに、私がマンションを事故物件に変えてしまうというのも忍びない。

 

しばらく眠った後、会社からの電話で目が覚めて、記憶があやふやなのでよく覚えていないけれど(社会のみなさん申し訳ございません)もう精神的に無理ですということを伝えたような気がする。

そうしたら、退職となりました。

お金もないし、せめて一か月は我慢してみてから決めようと思っていたのだが、どうしたものかな。

けれど、ほっとしている自分もいる。あの、労働前の謎の苦しさから逃れられるのである。

「逃げは甘え」なのか「戦略的撤退」なのかどちらだろう。

強制シャットダウンするまでは、どうか私を痛めつけてくれ、自傷をしたい、暴れまわって死にたいと考えていたけれど、目を覚ました私はチョコレートが食べたくなって食べている。

自身を雑に扱うのなら何も食べずにいるべきではないだろうか。

どうして生きているのだろうか。

 

 

 

消えてしまいそうな夜

明日の朝、私はもう世界にいないような気がしている。

それは馬鹿げた妄想で、私の願望からくる錯覚なのだろうけれども本当だったらどんなにいいだろうか。

かみさまにこの体をかえしてしまいたい。

消えてしまいたいのに消えられないジレンマが破壊衝動を生んで、包丁を体に突き立ててみたくなったり自傷してみたくなったり何かをめちゃくちゃにしてみたくなったりする。

けれども私は簡単に包丁が体に刺さらないことも急に体が消えることもないことを知っている。それがまた苦しい。

 

復職するはずなのに、無理無理にゃんになって復職できないでいる。

この精神の不安定さは復職へのストレスだろうか、しかしちょっとばかし我慢して通勤してしまえばお給料がもらえるのだしそんなにつらいものではないはずである。殴られたり蹴られたりするわけではない。

けれども、家で殴られたり蹴られたりしながら精神を死なせていくほうが楽かもしれないとも思う。

今朝、通勤さえすれば、身支度をして靴を履いて歩いて電車に乗って歩いて会社に入って自席に座れば、あとは勝手に進んでいく。それなのにどうして欠勤しているのか、出勤すればほしいものを買うことだってできるのに……とぐるぐる考えていた。

どうして働けないのだろう?そもそも何を悩んでいるのだろう。出社するだけだ。朝起きて、出社するだけなのに何を苦しんでいるのだろう。

消えてしまいたい。もう何も悩みたくない。

でも何をする気力もないのでこの体が勝手に消えたりしない限り私は死ぬことはない。

ただ、脳内で留めておくにはつらいので文章にして吐き出しております。

この文章を残して自殺するなどの後味の悪い結果にはならないのでご安心ください。