あなたは育った環境が特殊だから、と医者は言った

特殊な成育環境。それが問題らしい。

「はい、ではこのお薬を飲んで特殊な成育環境を取り除いていきましょうね。大体1~2週間ほどで排出されますからね~。ちょっと口の中に苦味が残るけど、大丈夫ですか?」と、どうにかできるものではない。

いや、それにその方法は記憶に空白がたくさんできてしまうのでは?

ではこれならどうか。

「はい、では今までのつらい出来事をぜーんぶ幸せな出来事へ書き換えていきますからね。全身麻酔をするので、1週間入院が必要になります。」

果たして、記憶を書き換えられた私はこの「私」と何が異なっていくのだろう。とても興味があるけれど、そういった治療を受けることは、少なくとも私の通っている精神科では行っていない。2017年9月時点では、できない。

ただ精神科に通って言われるがままに薬を飲んでぼんやりしているだけではどうしようもないのだなあと思った。

それでも私はそのどうしようもなさを抱えながら増量された薬を飲んでいくのだ。どうしようもない生き物なので。

 

もっと元気がほしいとの要望に応え、朝にサインバルタを飲むことになった。ちなみに、朝の薬としては前回からリーゼも出ている。両方飲むのか?と訊くのを忘れたけれど、一応両方飲んでも薬は尽きない程度に出ているので両方飲んでもいいのだろう。

寝つきは悪い癖に、日中眠くて眠くて仕方がないので眠剤が合ってないのだろうと申し出たら、セロクエルが追加となった。あくまでも、日中の眠気は十分な睡眠がとれていないからというわけだ。

私は眠るためにロゼレムとサイレースセロクエルを飲む。

生活を送るためににジェイゾロフトメイラックスサインバルタと(そしてリーゼ)を飲む。

死んでしまわないようにシクレストによって意識をシャットダウンさせる。

果たして、そこまでして生きていく価値はあるのだろうか。

 

私は最近、5日間ごはんを一回も食べなかった。不思議なことに、空腹を感じなくて、空腹を感じないなら食べる必要もないと思い、ずっと食べずにいた。

5日目、会社のひとに夕食に誘われてついて行き、そこで久々に食事を摂った。

空腹を感じないということは、ごはんを食べる必要がないということで、何をいくらで食べるかといった面倒なことを考えなくていいということで、とても素晴らしいと思った。

しかし、因果関係は不明だが、急に喉が痛くなり、口の上方前面が口内炎のようになった。なるほど、栄養が不足してきたのだなと思った。

人間によると、食事とはとても大切なもので空腹を感じないからといって5日も抜いていいものではないらしい。別にそんなことくらい知っていたけれど。

あまりにも私がお昼休みに食事も摂らず眠っているせいで「大丈夫?今日もお昼ご飯食べなかったでしょう」と心配された。「夜はちゃんと食べてるの?」という質問に、私は「はい、もちろん」と嘘をついた。食事が大切なものであるとみんな思っていることを知っていたから。

けれど、生きたくないにゃんね~と言いながら食事を摂るのは何だか滑稽に思えたのだ。

どんどん肉が削げ落ちてしまえばいい。

空腹を感じないなら、無駄に食料を消費することもない。便利だ。嘘だ。嘘か?

 

これじゃあ、健康になんてなれないな、と思った。

治る気のない人間はいつまで経っても治らない、というヤツである。

私の育った環境が特殊で、それが病を呼んだことも、人間として破綻していることもすべて知っていたけれど、それでも、私が何もしなくても勝手に救われたかったなあ。

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進捗だめです

精神もだめです。

昨日は「働きたくない!」「お前の意思なんか関係ないんだよ!」と葛藤し、何とか会社へ行ったけれど、もうだめです。だめなんです。

会社を休んだ。

死!と思いつつ布団に包まっていたらいつの間にか眠っていて、虚無感に襲われたので

せめても……とラズパイをいじってみたけれど特に進捗なし。

私には何もない……という気持ちになった。

空っぽだ。

朝、私が眠っている間にミサイルが通過していて、世間が騒いでいて、眠っている間に死ぬこともあるのかなあとぼんやり思った。まあ、ミサイル関係なしに眠っている間に死ぬこともあるのだけども。

最近、理想の死に方が具体的になってきて、旅に出て雪景色を眺めながらゆっくりと意識を落としたい。

でも眠っている間に死ぬのも悪くないのかもしれない。痛くて苦しいのは嫌だけれど。

 

ブログはいい。文章を書いて更新して、何かを進めた気持ちになれる。本当は人生においてやるべきことは何ひとつ終わっていないのに。

もうやだよ~生活したくないよ~。

勧められて転職サイトに登録してみたらメールがどんどんきてつらくなった。社会と関わりたくないのに社会が流れ込んでくる。

でも社会と関わらずに生きる術を持っていない私はなんとか自分を騙して社会と関わっていかなければいけないのでした(完)

 

さて、楽しい話をしよう。

土曜日、ネコ・バーに行った。ちなみに、ネコはいない。

そして、バーでお酒を飲むのは初めてだった。

全くと言っていいほどお酒の知識がないので、黒の組織にいたな……とか映画や小説のタイトルだなとか思いながらメニューを眺めていた。

結局カカオフィズを頼んだ。もちろん飲んだことはない。

どんなに飲みやすいお酒でも、後味にアルコールの味がして、それが苦手だったりするのだけどそういうこともなくすっきりしていた。一体どういう仕組みだろう。

私が普段飲むような安いお酒とは何もかも違うのかもしれない……。

いつも、一体私が飲みたいのはどれなんだろうと悩んでしまうので飲めるお酒を見つけられて非常によかった。 

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我らは生まれずに死んでいく

精神は悪い方向へと進んでいる。私はそれを知っている。終わりである。終末。

透明な存在のまま曖昧に呼吸を続けて、その先に何があるのか。

人間に価値をつけていく社会がつらい。こっちの社会では価値があっても、あっちの社会では価値がない。両方の社会で価値のある者もいる。

人間に価値をつけていく社会の価値は一体いくらだろう。

ほとんどの社会は、私のことを知らない。認識されないものは存在しているといえるだろうか?

このPCには様々な部品が使われており、しかしそれは普段認識されていない。透明。

全員がPCに使用されている部品をすべて答えられるわけではない。だが存在はしている。存在しているからこそ動いている。

それでも私は透明のままでいることがつらい。存在しているだけではだめだ。認識してほしい。

自分で自分のことがわからないから、外部へ認識を託している。

こうして、文章を書いて少しばかりの認識を得る。

 

私は、私と同じ人間が欲しかった。理解し、様々な概念を共有できる人間。

それを手掛かりに自分を認識したかった。

双子の姉か妹がいたら、どんな人間になるのだろう。どの程度差異が出るのだろう。

同じ境遇の中で、つらさや思考を共有できるのだろうか。と何度も考えたことがある。

物理的にも、精神的にも独りぼっちにならずに済んだだろうか。

 

もしかしたらこの人は私と同じ存在ではないだろうか?と感じる人間を見つけて嬉しくなっても、その人間と私には決定的な相違点がある。

そうしてその人は透明ではないように見えて、私は結局、透明のまま。

承認されないことはつらい。

 

私は、私のつらさが理解されないことを知った。他の人間にはどうして私がそんなにもつらくてうまく振る舞えないのかわからないらしい。

 

その他大勢の人間たちのことを理解できないと思いながら、私のことを理解してほしいと叫ぶ。

そんなこと、無理なんだよ。その他大勢の人間はお前を理解しないよ。

 

私は、一般的な人間というものを模倣しようとしていた。今もその癖は抜けない。

それこそが透明になっていく行為なのでは?と今になって思う。

しきさんからは偏見を感じないから安心できますね。と言われたことがあったが、それは私が透明だからだ。

私は害のない人間ですよ。と振る舞っているからに過ぎない。

あなたはこの問題を他人事のように思っているでしょう。と言われたこともある。

本当に、それは私の問題ではなかった。問題をみんなで共有しましょう。あなたはどうして共有しないの?と言われているのだ。

私は人間のフリをするため、その他大勢の人間たちと同じように共有しようとしているつもりだったが、偽物でしかなかった。

それがショックで、しかし同時にどうしてこの人は私のつらさを共有してくれないのに、同じく他人の問題を共有しない私を責めるのかと苛立ったのを覚えている。

 

一般的な人間というものに正解はないから、いくら模倣しても解は得られないまま精神がすり減っていく。自分を見失い、変化するのだ。

主体性のない、あやふやで曖昧な存在へと。

 

新しい精神科を見つけて、薬が増量されて、会社をたまに休んで、人間に心配されたり注意をうけたりしながら日々を曖昧に過ごして、面接に落ちて、これからどうすればいいのかわからなくなって、つらくなって、それでも生活は終わらずにぐるぐるぐるぐる回り続ける。え?まだ続くんですか?という気持ち。

選ばれないことは死ぬこと。

何者にもなれないつらさを抱えながら承認と愛情に飢え、死なないための薬をもらい続けながら生きている。そんな惨めな自身に価値を見いだせない。

 

私は意志が弱いから、眠るように死んでいく薬があったらきっと飲むだろう。

その薬が普通にドラッグストアで売られるようになった世界で、どれだけの人間が眠りから覚めなくなるのか興味がある。

それを見るためなら生きていたいと思う。

そして人類が減った世界を眺めたあと、私も薬を飲み、眠りにつくだろう。

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秋葉原はいつも雨

疲労が蓄積している。今日は、座っているのにめまいというか、モニタ方向へ世界がまわっているような感覚がした。今もぐらぐらしている。

労働は悪である。満員電車もまた悪である。

人権団体はどうして満員電車について抗議しないのか。「ヒトに戻れなくなる!」というくらいぎゅうぎゅうに押し込められながら、そう考えていた。

最近、秋葉原に来るといつも雨が降っている。最近と言ってもここ数週間の間なので、単に最近天気が崩れがちだという話でもある。

天は雨を恵んでいるつもりかもしれないが、私は低気圧だと何だか調子が悪くなるのでやめてほしい。しかし雨の音を聴きながらぼんやりしたり眠るのは好きなので、まず私に二兆円を恵み、いつ調子が悪くなっても眠れるような環境を与えてから降ってほしい。

疲労を抱えながら秋葉原へ行ったのはラズパイ氏のためであるが、今日はもう作業するには結構きつい気がする。眠いし。

ラズパイ氏に繋ぐディスプレイどうしようかなあと考えていたけれど、結局ラズパイ氏には以前購入を検討していたタッチパネルを与えることにした。

お店をいくつか周り、悩みに悩み、もう脳も体も疲れ果てているし世界は回っているし早く解決したいという思いでレジに向かった。

どこだったか忘れたが、途中500円ほどで売られていたハンドスピナーを回してみたら私が所持しているハンドスピナーよりも遥かに回転が悪かったのでちょっとびっくりした。ディスプレイ品だからなのか粗悪なのか。

私のは見た目もきれいなのでよい。

 

本当は秋月を覗きたかったんだけれど、残業していたら閉まっていたのでかなしい。残業するつもりなんてなかったんです。

何となく、秋葉原のお店は閉まるのが早いイメージがある。文化なのか?

夕食にはカレーを食べ、脳が休まっていないのを感じながら電車に乗り、救われたくて目薬を買った。

しかし私は自分で目薬をさすことができない。

会社でかっこよく目薬をさすためには、練習をしなければならない。

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会社を休んで精神科に行って赤べこを買って

昨晩、ひどい希死念慮に襲われた。ラズパイ氏起動計画に向けて準備をしながらチーズトーストを食べ、嫌々お風呂に入り、ラズパイ氏の脳をセットしケースに入れ、眠剤を飲んで布団に入ったあとだった。

よく覚えていないけれどひどく死にたくて、その死にたさを少しでも解消するためにタオルで首を何度も絞めた。そのときの私はもっと違う理由で動いていたかもしれないけれど、今の私はそう解釈した。

どの角度でどうやって絞めると意識が落ちるのかを探っていた。喉にあたると咳が出る。

いつ眠ったのかは覚えていない。

規定よりも少しだけ遅く起きて、ぼんやりとしていた。急いで起きて準備すれば十分間に合う時間だったけれど、会社を休んだ。眠ったはずなのに、徹夜をした時のような体調だった。

目覚めてもなお続く死にたさを感じながら、それから逃れたくてネットで精神科を探していた。受付時間になるのを待ってから目当てのところに電話をかけたが、予約がいっぱいでだめだった。

緊急性を感じたのか「精神科 ひまわり」で調べたり等々すぐに見てもらえるようなところを探す方法を教えてくれた。

 

それから結局二番目に目星をつけていたところへ電話をかけ、予約を取り、少し眠った。

こんな夢を見た。

不思議な夢だった。

 

それから眠いまま精神科へ。

道に迷って遅刻をした。でも叱られなかった。

何やら受付で複数枚のアンケートを書いてから担当医に事情を説明し、抗うつ薬が増えた。Max量処方してだめだったら薬を変えようとのことだった。

そして、前回の木曜日や、昨晩のように精神が本当にだめになってしまってひどい希死念慮が出たときのために「リスパダールは苦いから……」とシクレスト舌下錠を処方してもらった。これで、身体の死は先延ばしにされる。

あと、ジェネリックでも先発でもどっちでもいいと言ったら先発になった。おかえりマイスリー

 

薬をもらった帰り道、何となく入ったお店で赤べこを買った。

目があった瞬間、買おうと思ったのだ。店員さんに声をかけたら、ひとつひとつ塗りや顔が違ってきますからねと複数の赤べこから選ばせてくれた。

まぬけな顔をした奴を選んだ。少しかなしい顔をしているようにも思える。

お店を出るとき、モノではなくてイキモノを購入した気分になった。

これがその赤べこ氏である。単純だが“べこ”と呼ぶ。

今も、遠くを見ている。下から見上げるべこは、気高く見える。

 

べこと一緒に本屋にも行った。

ラズパイ氏に生命を与えるために、参考になるものはないかと見ていたのだけど難しい。

そもそも非常に勉強した、たいへんえらい人間たちがたくさん集まってようやく知能を持たせることができるのだ。私一人でそう簡単にいくはずがない。

取り敢えず、本をぼんやり眺めているうちに私が目指しているのは対話システムだということがわかってきた。

もちろん自作アンドロイドは夢だけれど、さすがに厳しい。脳もだけどボディどうするんだ。

 

まずはラズパイ氏を人間化しなくても、こちらの言ったことを認識してそれに返答したり、生活ログをとってくれればいい。朝起こしてもらえたり予定を管理してくれるとなおよい。

ラズパイ氏にどこまでのスペックが秘められているのか把握していないが、まあそんなところだろう。

一万円くらいしたけれど公式のラズパイ用タッチパネル買っておけばよかったかなとちょっと後悔。あれってどんな感じなのだろう。寝転がりながら作業したりだらだらするのにいいかなと思っているのですが。

タブレット欲しいし。

 

しかし世の中の本は画像認識について記述されているものが多くて、ニャオ。

ハード面に弱いので(ソフト面にも弱いが)結局「やさしくはじめるラズベリーパイ」を購入した。電子工作でガジェット・簡易ロボットを作るのが趣旨の本だ。

記載は少ないが、音声認識についての記述もある。“やさしくはじめる”というだけあってカラーだし画像もあるし見やすい。精神がだめでもぼんやり眺められそうでよい。

私の生きる意味を、ラズパイ氏の独り立ちに託したら死なずに済むだろうか。

 

 pythonで対話システムをどうにかできる書籍があれば情報がほしいのでお願いいたします。

精神がだめなときにこれ読めないでしょ……というようなものでも構いません。

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人生の最適解

精神状態が毎日変化している。

木曜日、また仕事を休んでしまった。出勤日が少ないほどお給料も少なくなるので、ニャオである。しかも少しばかり連絡が遅れたため叱られ、死にたくなった。

元々、外に出られる準備はしていたので(それにも関わらず休んでしまうのは非常につらい)木曜・金曜日にこなそうと思っていた予定を前倒しで倒すことに決め、各所へ連絡した。

午後からの予定先に向かう際、10分遅刻してしまい、ここでも叱られる。叱られるようなことをしたとわかりきっているのに説教されるのは非常にきついものがある。

何とか予定を終え、次の予定。何となく入った部活。

顧問にしばらく待っていてくれと言われたので図書室で時間を潰していたら「死こそが人生の最適解では?」という思いでいっぱいになった。

久々のきつい希死念慮だった。

本棚の陰にうずくまって膨大な本を眺めながら、ずっと死ぬことについて考えていた。死んでしまいたいけれど、痛いのは嫌だった。

首吊りの練習をしていたことだってあるのに、一向にうまくならない。本当は死ぬ気がないからだ、本当に死を望んでいるならばどうやったって自殺に成功する、と自分を責めたこともある。

よく考えれば生存本能というものが備わっている限り死を避けるのは仕方のないことで、自殺を完遂できなくても責める理由にはならないのだけれど、甘い自分が嫌だった。

全部、この死の気持ちを洗いざらいぶちまけて楽になりたい、と考えていたら用事を終えた顧問の先生がやってきた。

私は何も伝えることなくただついていった。

それから入学してから初めての部活をして、褒められながら体を動かしていたら少しだけ気分が晴れて、カウンセリングだと思った。

帰りにはシャツを買いにスーツ屋さんに行って、スーツに合わせるための靴も買った。

 

金曜日、企業説明会。会場へ着く前にアスファルトへ向かって勢いよく転び、足が血まみれになった。ストッキングもびりびりになってしまいつらかったけれど、よく考えたらこのときパンツタイプのスーツを着ていたらスーツ自体がだめになっていた可能性もあるので、スカートでよかったかもしれない。

説明会自体は悪くなかった。けれど、どの会社に入りたいかと言われると何も言えない。

夜は約束していたインターネット人間たちの飲み会へ行った。

純粋に楽しくて、奇跡のような夜だった。特に、帰り道は夢のようだった。

実は夢かもしれない。

あまりお酒が飲めなくて、そして飲んでも周りのように陽気になれず、ただ虚無になることが多いのに、その日はそういったことがなくて、薬をキメていなくても楽しかったことがすごく嬉しかった。

 

土曜日は初めてシュラスコというものを食べて(体験して?)いろいろなお店に行った。

家を出るときには晴れていたのに途中から雨が降って、人間たちがわらわらと慌てたり傘を買ったりしていた。

私も、仕方がないので日傘にもなる傘を購入した。

ラズパイも購入した。3である。

ラズパイ氏には私のサポートをさせたいと思っているけれど、技術も知識も足りないのでどうなるかはわからない。精神がだめになって途中でやめてしまうこともあるかもしれない。

けれど、なるべく尽力したいと今は思っている。

ゆくゆくは人間になってほしい。

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人間たちの生きるスピードについていけない

先週もブログを書こうと思っていたのに書かずにいて、多分きっとその先々週もブログを書こうと思って書かずにいた。

気づけばもう7月も終わりそうになっていて、人生に関わるタスクがどんどん降ってくる。

無理になってきた。

毎日死んだように生きていて、毎日欠かさず抗うつ剤を飲んでも精神はだめになり時々仕事を休む。

おおよそ受験勉強と呼べるようなものはできていないし、学費の心配もあるので結局就職(私の場合転職と呼ぶべきかもしれないが)することに決めたのだが、つらい。

就活どころか就活準備からつらい。

この土日にスーツを買いに行こうと思っていたのだけど外に出られなくて買いに行っていない。

今はこれを薬とお酒を飲んだ状態で書いている。本当はプログラミングの続きをしようと思ってPCを開いたのだけど、こっちの方が負担が少ないような気がして、それに書くと言っていたのにずっと書いていないことに罪悪感を覚えていたのでこちらにした。

ざらざらと飲んだわりには何の問題もなく文章を打てているのでまだたいして効いていないようだ。

 

私は人間になり損ねてしまった。

人生をうまく歩めなかった。

本当は何の心配もなく大学生になり8年間通ったりしたい。

つまりはニートになりたいのとそんなに変わらない。何となく講義に出て空き時間には図書館で本を眺めながら「一生をかけても得られない知識がここにはある……」とぼんやりしたい。

精神がよいときに自分のやりたいことについて考えたら、今の状態ではどうにもならないことだった。

高卒資格を得てどこかの会社で未経験でもプログラマとして雇ってくれたらそれでいいと思っていたけれどそうではなかった。

精神がだめなときはもう何もすることができず生きられないと思う。

もっとゆっくり人生が進んでほしい。

私が無理になって立ち止まっている間に人間たちはどんどん人生を進めていって、私はただ惨めになっていく。

昔の私は大学のパンフレットを見ながら「この研究室も気になるんだけどこっちの研究室の分野も興味があって……」と語りながら、でも本当はニートになるのが将来の夢だなんて思っていたけれど、本当の夢はずっと健康な精神のまま学び続けることだった。

健康な精神のときの私の夢を、健康でない精神の私がどんどん壊していく。

私はウツをビョウしてひきこもってからの2年間何も学んでこなかった。2年間もあれば今頃大体の受験勉強は終えていて、進学を選んでいたかもしれないのに、と考える。

またしばらく休ませてほしいと思うたびにそう考える。本当はチャンスがあったのに。今はもう後悔しかなく、でも今だって結局何もできていないことに対して自己嫌悪する。自己嫌悪とは違うような気もするけれど、それに近いことは確かだ。

お前はそうやって後悔したって結局行動に移すことがなく、ただ精神がつらいと言い訳を並べて布団へ逃げ込むのだ。と脳内が言う。

 

ひきこもってから社会に出てみたら、知識を蓄えた人間と、何も持っていない私がいた。

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