消えてしまいそうな夜

明日の朝、私はもう世界にいないような気がしている。

それは馬鹿げた妄想で、私の願望からくる錯覚なのだろうけれども本当だったらどんなにいいだろうか。

かみさまにこの体をかえしてしまいたい。

消えてしまいたいのに消えられないジレンマが破壊衝動を生んで、包丁を体に突き立ててみたくなったり自傷してみたくなったり何かをめちゃくちゃにしてみたくなったりする。

けれども私は簡単に包丁が体に刺さらないことも急に体が消えることもないことを知っている。それがまた苦しい。

 

復職するはずなのに、無理無理にゃんになって復職できないでいる。

この精神の不安定さは復職へのストレスだろうか、しかしちょっとばかし我慢して通勤してしまえばお給料がもらえるのだしそんなにつらいものではないはずである。殴られたり蹴られたりするわけではない。

けれども、家で殴られたり蹴られたりしながら精神を死なせていくほうが楽かもしれないとも思う。

今朝、通勤さえすれば、身支度をして靴を履いて歩いて電車に乗って歩いて会社に入って自席に座れば、あとは勝手に進んでいく。それなのにどうして欠勤しているのか、出勤すればほしいものを買うことだってできるのに……とぐるぐる考えていた。

どうして働けないのだろう?そもそも何を悩んでいるのだろう。出社するだけだ。朝起きて、出社するだけなのに何を苦しんでいるのだろう。

消えてしまいたい。もう何も悩みたくない。

でも何をする気力もないのでこの体が勝手に消えたりしない限り私は死ぬことはない。

ただ、脳内で留めておくにはつらいので文章にして吐き出しております。

この文章を残して自殺するなどの後味の悪い結果にはならないのでご安心ください。

 

どうでもいい話

何となくキーボードをカタカタやりたい気分である。

最近はずっと縦になる気になれなくて横になったままPCでTRPG(主にクトゥルフ)動画を観ながらスマフォでとうらぶをやりつつ、たまにTwitterを覗く、というのが定番だ。

とうらぶをインストールしたのは二回目。以前は確かポケットが配信された当初に何となくで始めて、しばらく放置したのちに機種変更によりデータロスト(特に残念な気持ちはなかった)。

ちなみに、データロストしたものは多々あったが、元々飽きっぽい性質でしばらくログインしないとそのまま離れてしまうタイプだったのでさほど問題ではない。

FGOだけは、最初っからプレイするの怠いしもしもやりたくなったらどうしようかなあと思う。

 

再度とうらぶを選んだのは何がきっかけだったのだろう。多分、暇でスマフォゲーでもしようかなと思ってインストールしたのだったと思う。

作業しながらでもできるし……もっと何か確定的なきっかけがあったような気がするが思い出せない。

始めてみると知らない刀剣がやけに増えていて時間の流れを感じた。

昔所持していた刀剣は大体入手できたと思われるが、未だに小狐丸がいない。小狐丸難民になるとは思っていなかった。

あとは長谷部入手が思っていたよりも遅くてちょっと意外だったのを覚えている。まあ、使い勝手が良いのですぐに不在時の遅れを取り戻してカンストし、修行にも行くことができました。

推しキャラなので構わないと言えば構わないのだけど、打刀の極ってイマイチ使いどころが……。レベルも上げづらいのでニャオである。

そんなこんなで宗三も極めたかったが修行道具の数との兼ね合いで短刀勢の修行を優先。

昔プレイしていた頃は特別な感情は抱いていなかったが、今では宗三のあの性格がわりと好きである。

普段、人間が苦手だとか言っているくせに、厄介な、どこか人間臭い刀剣を好いているような気がする。

個人的に、神様としての面が強いのは三日月宗近だと思う。実際に相手にするなら彼こそ、一番厄介な存在である。

余談ですが、脇差からは青江が修行に行きました。防御してくれるのありがたいですね。レベルによって防御率あがったりしないのかな。

 

前はとうらぶにハマって刀剣を見に行くということにあまりピンときていなかったのですが(そもそもそこまでの思い入れがなかったように思う)彼らは刀の付喪神なのだから、刀剣を見に行く=会いに行くともとれるのかあと感慨深さを覚えました。

金比羅参りや伊勢参りと似たようなものでしょうか。

お遍路さんはさすがに少し違いますね。

 

これは以前Twitterでも言っておりましたが、積極的に外出をしない私にとって遠方へ行く必要のある趣味があるなんて、とてもいいなあと羨ましく思います。

私の中には旅行という概念があまりないように感じられ、また習慣もない。

羨ましいと思うなら行けばいいのではとも、しかし概念が存在していないのだからそう簡単に実行できるようなものではないとも思うわけです。

箱入りネコの弊害である。

 

だらだらしたりリゾットを作っているうちに通院の時間が迫ってきた。

実に面倒。外出を心の底から楽しみに、待ちわびていられたのはいつの話だっただろう。

人間へ戻る日

ついに復職日が決まってしまいました。

産業医面談、それに一体何の意味があったのだろう。私は、最低限の嘘をつきました。

働く必要があったからです。いや、そんなもの死ぬなら全く必要ないのですが。

でも、よくわからないけれどもお金が必要なので……必要、必要なのか?復職がつらいなら死ねばいいのではないか?死者に葬式代を請求してくることもないだろうから、死は実質無料です。

この世は実質無料で溢れていますから。

 

私の嘘によって判断されたものに一体何の意味があるのか!

この休職期間中、外出を強いられる生活に自分がどれほど向いていないか思い知りました。

引きこもりながら生活を維持する術を全力で身に着けなければならないのかもしれません。

けれどもそう簡単にはいかないのでおとなしく社会へ出るのです。

様々な迷惑をかけて、好き勝手に生きて、生きられなくなった時点で死のうかなと定期的に考えるのですが、ポジティヴ自我を獲得する可能性を諦めきれずにいます。

いつか、未来の私が生きる意志を持った時、あまりにもひどい人生を渡すのはやはりためらわれます。現在の私だけの気持ちで、他の私の人生を損なわせてもよいのだろうか。

今、意識を握って体を動かしているのは私なのだから、この体も人生も私のものであり好きに使ってもいいような気はしますけれど、同時に他の私へ申し訳なさを覚えるのです。

 

ふらふらと気の向くまま、どこかへ行ってしまいたいという思いが日に日に強くなり、それを誰かに聞いてほしくなるのだけど、それって話した人間に重荷を負わせる行為なのでは?と思ってしまうのでこうしてブログへ吐き出して、薄めていく。

昔は日本の北までぼんやりと電車に乗り続けても何とかなるくらいの貯金がありましたが今ではそれすら持ち合わせてなく非常につらい。どこへも行けない。

まあ、死ぬ前提なら多少のお金はどうとでもなるでしょう。文字通りの、片道切符となってしまいますが。

けれどもふらふらと彷徨っているうちに愚かにも生きたいと思ってしまったら取り返しがつきません。

臆病者なのです。完全に自分を見捨てることもできず、人間も辞められない。

ほんの少し残された猶予が惜しくて、今日もいちにち布団と仲良くして非生産的に過ごしました。

そっと人生から手を放す

積極的に人生を歩む気力が潰えました。ただ何もせず波に流されて生きております。生活リズムもひどいもので、眠くなるまで起き続けて適当な時間に寝るものだから世間一般の一日と私が過ごす一日にズレを感じるようになりました。

本来ならもう復職している頃ですが産業医面談が済んでいないためお仕事もありません。

そのため、ネコのように人間から衣食住を与えられ、死ぬわけではないが生きているわけでもないロクデナシのような生活を送っているわけです。

またいつか、元気になった私が「あのとき何もしなかった時間のもったいなさといったら!」と嘆くのでしょう。

 

最近、たまに昔の小説家や俳人Wikipediaを読むことがあるのですが押しなべて生きづらそうに見え、親近感を覚えます。

しかし彼らがどれだけひどい生活を送っていようとも、その生活や人格から紡ぎだされる言葉が価値をはらみ彼らを生きさせていたわけですから、ただ生命を維持しているだけの私よりも随分まともだと言えるでしょう。

文豪的クズ生活を送ったとて、文豪になれるわけではないのです。

言葉を、紡ぎださねばなりません。

私は一体どうやって生きてゆけばいいのか。

このままでは、幼い子供に教えるように、私に生きる道を示してくれる何かがあればよいのにという身勝手さと共に心中することになってしまうでしょう。

それをわかっていながらも私の体は横になったままであり、ただいっさいは過ぎていきます。

 

感傷的になるのを許されない

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)

これは一体どこで聞いた言葉だろう、と検索してみたら「人間失格」だった。

 

 私は頭の中に世間を飼っているのです。

幼い子供でもないのに、膝を抱えて蹲って感傷に浸って自分を憐れんで立ち止まるなんてもう、許されない。誰が許さないのでしょう。許されないような気がするのです。

感傷は社会に適応するにはあまりにも邪魔なものです。自己憐憫に浸っていても何も解決しないのです。

私は世間様の目に、奇妙に、醜く映っているのではないかと怯え、その姿もまた奇異なもので排斥対象になるのではないかと不安になっては周りの正常な(ように見える)人間を模倣していくのです。

ああ、気味の悪いものになるくらいならその前に消えてしまいたいと、けれども、ひとりで死んでいくのは寂しいだろうと思う。できるなら、私はだれか安心できる人間の腕の中で眠るように死んでいきたい。感傷を眠剤で曖昧にした私の首をゆっくりと絞めあげてくれたならと考えるのです。

 

とても、気が滅入っている。もう家にひきこもる期間は終わりを迎え、社会の、人間のかたちにぎゅうぎゅうと自分を押し込めていくときがきました。きっと、全てが始まれば私は普通の人間になって仕事をこなしていくのかもしれませんが、今はただそれが苦痛で仕方ない。

どうか、幻滅しないでくださいと願いながら人間と関わっていく。

沈黙は金。こんな心情を吐露するよりも、ただ伏せて目を閉じるほうが心地よいのでは?

普段誰にも語れない分、文章にしてバランスをとっていきながら、誰かにわかってもらえるのを少しばかり期待しているのかもしれない、と……でも本当にそうだろうか?

‘わかる’というのは違うかもしれない。感情を直接流し込まない限り、誰も本当のことはわからないのではないか。わかられないことは寂しいが、仕方ない。

 

正しさなんてないのに正しい人間性を獲得しようとするのが間違っているのだと常々考えている。それでも私はどうしてもこの陰鬱な気持ちを抱える自身を持て余し、捨てるべき存在のように思えてしまうのです。

社会にはエラーを起こした人間がたくさんいて、エラーを起こした人間に育てられた人間は新しい独自のエラーを抱えて生きていき、いつか発露させて終わる。

 

冷たい布団が気持ちいい。変な夢を見て、変な時間に起きてしまったからこのような文章を書いているのでしょう。

でも、眠って目覚めたときにはもう消えてしまっているような感傷なら、果たして何のためにあるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

戌年ですが、今年もネコと和解しましょう

12月(2017年の)中にブログを更新しようと思っていたのに年が明けてしまいました。

初詣も行きました。

かっこいいので御神矢も買いました。

毎年スケジュール帳を買っては三日坊主で終わらせてしまっておりますが、2018年はなるべくブログを更新しようと思います。もうこのセリフは恒例行事のようなものですね。信じなくてもいいので期待してください。そして暇つぶしに読んでください。承認欲求を満たしてくれ。 

 

さて、ブログを更新していなかった間のお話をしましょう。

秋頃から会社へ行けなくなり、現在休職中です。

しかしもう2週間経たずに休職期間終了なのでたいへんつらい。復職することを前提にクレジットカード使って暮らしているので復職せねばなりません。長い冬休みだった……。しかし復職前の産業医面談をパスしないと復職できないようなのでニャオですね。

休職中だからということでイシャへ行く頻度が増えました。自立支援でイシャ&オクスリ代が無料なのが救いです。薬の組み合わせも目まぐるしく変わり、イフェクサーデジレル錠初体験中です。特に何か変わった感じはなし。年末からサプリも加えておりますが、サプリの方は三日坊主になりそうなので気をつけねばなりません。

 

その他の生活の変化で一番よいものはネコです。ネコはあなたを救う。

私はネコの神様なのでたいへんネコ氏に愛されております。ニャオー。

せっかくの長い冬休みでしたが、布団とネコとアニメで消費してしまい、ちょっとつらい。

プログラミングするぞ!とか、自宅サーバいじるぞ!とか思っていたのに何もできていない!知的活動が無理無理にゃん。つらすぎるときは部屋の明かりが無理で、アニメを観る元気もなく、目を開いているのも何だか苦痛に感じてしまうので落語を聞きながら目を閉じていました。

ホットアイマスクと組み合わせるのがおすすめです。

イシャにも、無理なときは横になっているだけでいいからとお墨付きをもらっているので、休職中はのんびり過ごします。

明日から本気出す。×n

 

本年もよろしくお願いいたします。 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

 

がんばれなくなってきたので

つらい。

 

一か月もブログを更新していなかったようですが、最初の方は引っ越しでネコ・ネットワークに接続できなかったため。

後半は私の問題である。

日中意識を保つことが難しくなってきて、それにより労働へ行くのがこわくなった。薬を調整しても早く眠っても意識を保てず、夜には悪夢を見る。

上司は理解を示してくれて「ちょっと前は表情も明るくて調子よかったのにね。きっと波があるんだろうね」と、就業中に寝るのはよくないのでがんばって起きていてほしいことを伝えつつも、気遣ってくれる。

それなのに、ふとした瞬間に寝てしまい、申し訳なくて、惨めな気持ちになる。

不眠のために増えていた眠剤が、精神科へ通う毎に削られていった。

朝に飲むサインバルタも、消えた。

 

起きているのに、俯いて資料を読んでいたら「寝るな!」と急に肩を叩かれて「起きてますよ」と答えながら不愉快な気持ちになって、どうしようもなくだめになって早退した日もあった。

何だか、もうあの場に私がいる価値はないような気がする。

減ってしまった貯金を増やしたいし、職場には行きづらくなってきたし、転職して気分を変えようと考えながらも、何もできずにただ逃避する日々を送っていたら、11月になっていました。

有給も、もう残っているか不明である。

 

がんばらなければだめというプレッシャーを感じる。がんばらなければだめなのだろうか。

 がんばりたくないなあ。

今日は先生から「元気?」と電話がかかってきて「はい」と答えてしまい、後悔した。本来ならば、何らかの相談をすべきなのでは、と思った。

電話を苦痛に感じながら「はい」とか「ええ」とか「そうですね」とか相槌を打っていたら、また「元気?」と訊かれたので「まあまあです」と曖昧に答えた。だめですとは言えない。説明すると言い訳になってしまいそうで。

このブログも言い訳辞典。

つい最近、久々に自傷をして、リストはカットしない派なんですけど、リストほどカットしやすい場所はないだろうなあ!と思った。手首ほど充実感を得られる場所はないのではないか。リストはカットしない派なので比較はできないけれど。

首とか、切りたくなる。ひきこもりのときは切ったこともあったけれど、今は目立つと困るので切れない。

自傷は、救いである。

一瞬だけでしかないけれど、確実に、その一瞬だけは救ってくれる。したことのない人間からしてみれば、わけのわからない行為だろう。

私もシラフのときはよくわからない。

ただ一瞬のために、傷跡のかゆみに悩まされたりする。ニャンである。

社会とか人間を気遣うとか自分を大切にするとか、面倒になってきたので一発で治る薬とか出してほしい。

もしくは何かすごい能力に目覚めて週に3日ほど敵をなぎ倒すだけで生活できるようになりたい気持ちでいっぱいです。体を動かすとすっきりしそうだし。

 

一日を無にはしたくなくて、つらくて動けない間もアニメを流してぼんやりと眺め、少なくともアニメを観たという事実を作り、別の日には音楽を流しながら仮想環境をいじり、しかし進捗もなく、予定外の睡眠に落ち込む毎日。そろそろどうにかしないと……。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村